Citroen 2CV6 Special 〜華麗なるクルマ遍歴シリーズ(3)〜

2009年08月30日

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 1996年に自前のホームページを持ってから、どうもイタ車乗りは面白いヤツが少ないんじゃないか?と思ってた。で、ダントツに面白かったのがシトロエンの「おフランス座」である。今じゃほとんど面影は無いけどオーナーのSさんはいろんなフランス車イベントの仕掛け人でもあった。なんでも一時期加入していたシトロエン・クラブのあまりのくだらなさに呆れて、自分でイベントを始めてしまったひとである。僕もMGのクラブや、ランチアのクラブのくだらなさを知っているのでなんだか意気投合してしまった。で、乗ってみなよ、と言われたのがシトロエン2CVである。2馬力である。宮崎駿も乗ってるアレだ。
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 正直言うと、心底バカにしていた。なんでこんなゴミみたいなものに乗るんだろ、と思っていた。戸惑いながらSさんの赤い2CVのぼよんぼよんのシートに座り、レクチャーを受ける。「この棒を引っ張ったり押したりするとシフトできるよ。左手前が1速だから」走り初めて5分後、僕は大笑いしていた。こりゃ、面白い。なんだかいろんな固定観念が吹っ飛ぶ気がした。

 数ヶ月後、ミジェットを売って僕は'88年型の白い2CV6 Specialを中古で買った。確か30万くらいだったような気がする。カーマガジンの広告で見た番号に電話すると、個人で売買をしてる人だった。後で知ったのだが、このひと、ヤバい業者ととまずい取引をして事務所に引きずり込まれてボコボコにされたらしい。それはともかく、現状渡しで買ったこの2CVも結構酷いシロモノだった。当時2CVを売っていた英田舎へ行こうと国道16号を上尾のあたりにさしかかったとき、ブレーキペダルが踏み抜けた。全くブレーキが効かない。これはチョーヤバい。いろんなクルマのトラブルを経験してきたが、ブレーキだけはヤバいです、マジで。サイドブレーキを引っ張ったところなんとか効いたので、レバーを握りしめたまま家電量販店の駐車場に緊急避難した。
 それから英田舎のAさんがレスキューに来てくれた。見慣れない緑のボトルを持っていた。これがシトロエンの血液、LHMだった。2CVのブレーキフルードは普通のクルマのものを使ってはいけない。パッキン類が固まってしまうのだ。2CVのブレーキにはLHMを使わなければならない。要するにこの2CVはちゃんとした知識のない工場でメンテナンスされてきたのだ。納車いきなりでブレーキキャリパーのオーバーホールになっちゃった。以後、いろんなひとにお世話になることになった。

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2cv06.jpg とりあえず白い'88年型はあちこちダメだったので徹底的に修理した。これで2CV整備のほとんどはクリアできたと思う。で、あるとき程度抜群の'90ブルーの2CVに出会って買い換えた。先日亡くなったU-PowerのUさんが整備したエンジンとキャブレターは惚れ惚れするくらいに仕上がっていて、高速では「ぬふわkm/h」で巡航できた。あまりにもカンペキに整備されていたので僕はまるでやることがなくなった。大阪まで遠征したり、仙台、岩手までツーリングしたりした。思い出いっぱいの2CV、本当はずっと持っていたかったんだけど、クーラーなんてあるわけもないので東京の夏では乗れなくて稼働率も低かったのでついに2005年に手放すことにした。で、行き先はなんとアメリカ。彼の地では程度のいい2CVが少ないそうで、僕のブルーに白羽の矢がたった。今ではサンフランシスコ・シトロエンクラブの副会長ジュエル女史の愛車となっているそうだ。アメリカでも絶賛の性能を誇ってるらしい。




'79 MG Midget 1500 〜華麗なるクルマ遍歴シリーズ(2)〜

2009年08月30日

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 デルタを買った僕は情報収集のため、当時パソコン通信ではポピュラーだったニフティーサーブの輸入車フォーラムに出入りするようになった。夜のチャットやらオフ会やら、まぁ他愛もない集まりだった。ある時、箱根のヤギさんコーナーでのオフ会へ出かけたときに僕のデルタのラジエーターホースが炸裂した。イタ車やらフランス車の連中は何もできなかったが、ここで応急処置に駆けつけてくれたふたりは、英国車、MGミジェット遣いだった。ひとりは、みんなでレストランでご飯を食べている最中もワイヤー・ブラシで点火プラグを磨いているような変なヤツだったが、このトラブルに際し工具箱からいろんな物を出してきてびっくりした。いろんなサイズのホースクランプ、針金、ゴムホースの切れ端等々。そのときにビーズガレージのTさんの話を思い出した。「MGとかカニ目に乗ってるひとってのは、本当のクルマ好きだと思いますよ」や、本当にそう思った。クルマをいじれるようになりたい、と思った。結局僕のデルタはワイヤー・ブラシ君の応急処置のおかげで、埼玉の家までたどり着けた。そうか、英国車か。

 ある日、いつものようにニフティサーブのチャットをやっていたら、「MGミジェットを10万円で売りたいという人がいるんだけど興味ある?」と持ちかけられた。ビョーキの始まりである。MGである、ミジェットである、でも10万円。。。。どんなゴミグルマかと思って上尾の指定場所まで行ってみたら、なんと見た目ピカピカである。オーナー氏は結婚するために惜売するのだという。あちこちに査定してもらったが0円だったのだそうだ。ただ、問題があってバックギアが入りにくいのだと言う。オーナー氏の隣に乗せてもらって良くわかった。この時代の英国車はトランスミッションのシンクロメッシュが弱い。ちゃーんと回転を合わせないとクラッチを切っていてもギアチェンジが難しいのである。ものぐさにシフトダウンでもしようものなら「ガチン!」という感じでシフトレバーからしっぺ返しを食らう。僕はこのクルマのおかげでダブルクラッチを練習した。ミジェットで3→2シフトダウンがバッチリ決まった時のうれしさったら無かった。で話を元に戻す。この、オーナー氏、交差点で3→2へのチェンジをしようとしたときにガキン!と言った。それでなんとそのまま力ずくで叩き込んだのである。「あ、痛、ヤメロ」と僕は心で思った。そんなわけで、バックギアもシフトレバーを手で押さえてないと抜けてしまうシロモノだった。
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 でも例によって舞い上がっていた僕はその場で10万円を渡し、即決で乗ってきてしまう。その帰り道がなかなか大変だった。運転しているとものすごく排ガス臭いのである。幌をしていると目がちかちかするし、髪の毛はばりばりの大騒ぎ。あと、ウインカーレバーもバカになっていて、手で押さえていないと元に戻ってしまう。でもそのくらいなら可愛いものだった。ある晩、富士見-川越有料道路に出て3速へシフトしたとたん、だだだだだ!というもの凄い振動、うわーどうした?と思ったら「ばっき〜ん、かららん、かららん」という音とともに即座にエンコ。ミジェットはFRなのでフロントのエンジンとリアのトランスミッションをプロペラシャフトというもので繋いでる。これのジョイントがすっ飛んだのであった。これで通算2度めのエンコ。JAFのにーちゃんと世間話しながら帰ってきた。
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 ミジェットは自分でレストアする!と決意していたので市ヶ谷の英国車パーツ屋でジョイントを買ってきて修理、それともの凄い排気漏れはエキゾーストマニホールドを止めているスタッドボルトが折れているためと判明、これも交換。MGミジェットは初期型はミニと同じエンジンを積んでいたのだけれど、この1500は諸事情によりトライアンフの「クソ」エンジンを積んでいた。非力でトラックのようなこのエンジン、ストロンバーグなるダメダメクソ・キャブレターのおかげで箱根では観光バスにあおられる始末。まぁ、ただ高速で80km/hも出すと、着座位置の低さも相まって、もの凄いスピード感。ステアリング・センターがないので、回頭性は良いが高速安定性は極めて悪かった。ウインドウシールドも低いからオープンで乗ってると石が飛んできたらアウトですね。風の回り込みも凄いので髪の長い女の子は乗せられない。でもね、もの凄く楽しい。イギリス人ってバカだなぁと思うよ、コレ。

 このクルマは車検は自分で行った。灯火類のチェックがあるんだけどハザードのスイッチが壊れてたので、こっそりダッシュボードの下でギボシ端子をつないでクリア。へへへ。そんなこんなで楽しい毎日であったのだが、ある日ついに完全にバックギアに入らなくなった。幸いミジェットは車重が600kg足らずなので一人で押すのも楽ちん。ファミレスなんか行くと手で押して車庫入れした。しかし、そのうちオルタネーターが逝き、ラジエーターが逝き、ウォーターポンプが逝き、セルモーターが逝き。。。なんてやってるうちにシトロエン2CVが欲しくなっちゃったので1997年の8月に15万で売っちゃった。次のオーナーは完璧に直して別荘でのアシにする、なんて言ってたなぁ。



'90 LANCIA DELTA HF integrale 16V 〜華麗なるクルマ遍歴シリーズ(1)〜

2009年08月30日

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 ある朝、僕の青いブルーバード(U12)が真横から突っ込まれ全損となったとき、頭をよぎったのは「この保険代で外車でも買ってやろう」ということだった。学生時代につきあってた彼女のシトロエンBXのボンネットが突如高速で開いたとか、そのころから友達だったYっちのオレンジ色のルノー5が乃木神社のあたりでエンコしたりとか、会社の同僚がミニで楽しくやってるらしいというのを聞いたりして、なんとなくうらやましかったからだ。で、選んだのが今から思えばかなり無謀だったのだけど、ランチア・デルタ・インテグラーレだった。確か週刊プレイボーイだかなんかで「いま欲しい外車はコレだ」みたいな特集記事でBMW318iかなんかと並んでランチアの写真が出ていた。ジウジアーロデザインの四角いクルマの写真に一発でやられてしまったのだ。で、なんだか記事によるととてつもなく速いそうじゃないか。ワールドラリーというやつでも抜群に強いらしい。でもサイタマのド田舎では見たことのないクルマだ。。。。

 で、早速買ってきたカーセンサーで見てみるとなんと新車で500万以上もするではないか。当然中古に的を絞ってとりあえず横浜のG○Tまでクルマを見に行くことにした。埼玉から出てきた僕を営業君が駅までプジョー405で迎えに来てくれた。うーんいきなりフランス車ですか、それだけで僕はめまいがした。お店に着くと緊張はさらにでっかくなった。写真でしか見たことのなかったぴかぴかランチア、ルノー、フェラーリ、マセラティが並んでいた。まぁこの時点で完璧に「負け」ですわな。僕はガイシャパワーに圧倒されていたのであった。

 3日後、2年落ちのガンメタ中古インテグラーレの420万円の契約書にまんまと僕はハンコをついていた。これが悪夢の始まりとも知らずに。。とにかく納車の日は緊張した。初めての左ハンドルマニュアル車、しかもアイドリングのトルクは細いし、クラッチは重かった。で、横浜なんてまったく不案内だったし。どうやって帰ってきたかよく覚えてないよなぁ。でも車内は国産車にはない香りがしていたし、純正のレカロシートの生地はお洒落なミッソーニだったし、メーターパネルはなんだか派手だったし、どっかんターボの加速は凄かったし僕は舞い上がっていた。信号待ちでお店のウインドウに写る自分のクルマを眺めて悦に入っていた、ああなんてカッコいいんだ。。。。バカじゃん。

 クルマを買って3ヶ月、三鷹の東京天文台あたりを走っていたとき、突然クラッチペダルが床にへばりついて戻って来なくなった。そしてクラッチが切れないことに気がついた。そのころは回転合わせて繋ぐなんて技は持ち合わせていなかったので交差点の交番の前に止めた。交番から出てきた若い巡査は「こんなガイシャ乗るからですよぉ」と言った。これが初めてのエンコだった。クラッチレリーズ・シリンダーの死亡という、別に大したことない事例なんだけど、僕は激しく動揺した。それからはトラブルの百貨店、いろんなことが起きる。ABSの誤作動でブレーキが効かなくなったり、ガソリンじゃじゃ漏れ、雨の東北道大渋滞でワイパー停止、ラジエーターホース炸裂、リアデフが突然ロックして交差点を曲がれなくなったり、信号待ちでエンジン停止、自宅のガレージでエンジンかからなくなったり。。。。GS○の営業君は「イタ車なんてそんなもんすよ」の一点張りで逃げまくり。この極悪非道野郎はその後調布でロッ○コル○という欧州車のディーラーを立ち上げたらしい。僕は仕方なくディーラーをあきらめ、近所のビーズガレージにやっかいになることになった。
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 本当に金のかかるクルマだった。年間平均で200万くらいつぎ込んでたのではないかな?最後のほうはさすがに観念して、ビーズガレージのTさんのご教授で自分で修理を始めた。千葉のほうに解体車があると聞き、ひとりでガソリンタンクを下ろしてリアデフをもらってきたり、足まわりのブッシュをイギリスから個人輸入して自分で交換したり、最後はタイミング・ベルトの交換までやった。(デルタのタイミング・ベルトの交換がいかに大変かは、やった者でないとわからないはず)
 元々1.6Lのコンパクトファミリーカーを4駆化、2Lターボエンジンを無理矢理乗せてしまったのでエンジンルームにはまったく手が入らない。整備性などというものをまるで考えていないので、工業製品にもかかわらず、個体個体で微妙に配線が違っていたりして酷いものだった。エンジンルームがぎちぎちな為にまるで冷却がなっていない。なのでゴム、センサー類が驚くべき早さで劣化した。日本向けはエアコンがついているのだが、そのせいでこれがほとんど利かなかった。普通のクルマで10万キロは持つはずのタイミング・ベルトはデルタの場合2万キロが寿命とされた。ターボ車なのでタービンまわりの熱も凄いものがあり、僕のデルタも最後はタービンがお釈迦となった。

 WRCのベースマシンというからには足回りは確かなんだろう?なんてことはまるで無い。グループAのマシンなんて市販車とはまるで別物なのだ。リアサスペンションのアームなんてペラペラで、バックで段差を乗り越えただけでへし曲がるそうだ。常磐道で「ふわわkm/h」出した時はどっかへ飛んで行かないようにハンドルをひっつかむのがやっとだった。鼻先に鋳鉄製の古くさくて重いエンジンを積んでいるので、サーキットでも回頭性が悪かった。曲がらねぇぇ。剛性も低くてぐにゅぐにゅだった。当時流行りだしたインターネットで調べてみたけど、ランチアのラの字もなかった。仕方なく自分のサイトを立ち上げて高島平にあったクイックトレーディングから入手したトラブル事例集を公開してみたら、全国から問い合わせのメールが来てびっくりした。やはりみんな困っていたのだ。これが1996年のことだった。
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 そんな欠点ばかりのデルタだったけど調子いいときのドライブは快適だった。実は結構乗り心地が良く、レカロのシートのせいもあって6時間くらい連続で運転しても疲れなかった。ロングツアラーとしてのヨーロッパ車の良さを感じるにはじゅうぶんのクルマだった。この点は国産車は未だに遅れてると思う。こういう良さって所有して長距離運転してみないと絶対にわからない。
 そんなこんなで7年も乗って10万キロを超えたデルタは1999年に手放しました。また欲しいか?と言われるとカンベンだけど、調子のいい16Vに乗ってロングツーリングなんていうのは素敵かも。。



センキョ

2009年08月30日

 近所の小学校へ行くと、投票所の前になんと行列。こんなのはじめてだ。



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