'90 LANCIA DELTA HF integrale 16V 〜華麗なるクルマ遍歴シリーズ(1)〜

2009年08月30日

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 ある朝、僕の青いブルーバード(U12)が真横から突っ込まれ全損となったとき、頭をよぎったのは「この保険代で外車でも買ってやろう」ということだった。学生時代につきあってた彼女のシトロエンBXのボンネットが突如高速で開いたとか、そのころから友達だったYっちのオレンジ色のルノー5が乃木神社のあたりでエンコしたりとか、会社の同僚がミニで楽しくやってるらしいというのを聞いたりして、なんとなくうらやましかったからだ。で、選んだのが今から思えばかなり無謀だったのだけど、ランチア・デルタ・インテグラーレだった。確か週刊プレイボーイだかなんかで「いま欲しい外車はコレだ」みたいな特集記事でBMW318iかなんかと並んでランチアの写真が出ていた。ジウジアーロデザインの四角いクルマの写真に一発でやられてしまったのだ。で、なんだか記事によるととてつもなく速いそうじゃないか。ワールドラリーというやつでも抜群に強いらしい。でもサイタマのド田舎では見たことのないクルマだ。。。。

 で、早速買ってきたカーセンサーで見てみるとなんと新車で500万以上もするではないか。当然中古に的を絞ってとりあえず横浜のG○Tまでクルマを見に行くことにした。埼玉から出てきた僕を営業君が駅までプジョー405で迎えに来てくれた。うーんいきなりフランス車ですか、それだけで僕はめまいがした。お店に着くと緊張はさらにでっかくなった。写真でしか見たことのなかったぴかぴかランチア、ルノー、フェラーリ、マセラティが並んでいた。まぁこの時点で完璧に「負け」ですわな。僕はガイシャパワーに圧倒されていたのであった。

 3日後、2年落ちのガンメタ中古インテグラーレの420万円の契約書にまんまと僕はハンコをついていた。これが悪夢の始まりとも知らずに。。とにかく納車の日は緊張した。初めての左ハンドルマニュアル車、しかもアイドリングのトルクは細いし、クラッチは重かった。で、横浜なんてまったく不案内だったし。どうやって帰ってきたかよく覚えてないよなぁ。でも車内は国産車にはない香りがしていたし、純正のレカロシートの生地はお洒落なミッソーニだったし、メーターパネルはなんだか派手だったし、どっかんターボの加速は凄かったし僕は舞い上がっていた。信号待ちでお店のウインドウに写る自分のクルマを眺めて悦に入っていた、ああなんてカッコいいんだ。。。。バカじゃん。

 クルマを買って3ヶ月、三鷹の東京天文台あたりを走っていたとき、突然クラッチペダルが床にへばりついて戻って来なくなった。そしてクラッチが切れないことに気がついた。そのころは回転合わせて繋ぐなんて技は持ち合わせていなかったので交差点の交番の前に止めた。交番から出てきた若い巡査は「こんなガイシャ乗るからですよぉ」と言った。これが初めてのエンコだった。クラッチレリーズ・シリンダーの死亡という、別に大したことない事例なんだけど、僕は激しく動揺した。それからはトラブルの百貨店、いろんなことが起きる。ABSの誤作動でブレーキが効かなくなったり、ガソリンじゃじゃ漏れ、雨の東北道大渋滞でワイパー停止、ラジエーターホース炸裂、リアデフが突然ロックして交差点を曲がれなくなったり、信号待ちでエンジン停止、自宅のガレージでエンジンかからなくなったり。。。。GS○の営業君は「イタ車なんてそんなもんすよ」の一点張りで逃げまくり。この極悪非道野郎はその後調布でロッ○コル○という欧州車のディーラーを立ち上げたらしい。僕は仕方なくディーラーをあきらめ、近所のビーズガレージにやっかいになることになった。
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 本当に金のかかるクルマだった。年間平均で200万くらいつぎ込んでたのではないかな?最後のほうはさすがに観念して、ビーズガレージのTさんのご教授で自分で修理を始めた。千葉のほうに解体車があると聞き、ひとりでガソリンタンクを下ろしてリアデフをもらってきたり、足まわりのブッシュをイギリスから個人輸入して自分で交換したり、最後はタイミング・ベルトの交換までやった。(デルタのタイミング・ベルトの交換がいかに大変かは、やった者でないとわからないはず)
 元々1.6Lのコンパクトファミリーカーを4駆化、2Lターボエンジンを無理矢理乗せてしまったのでエンジンルームにはまったく手が入らない。整備性などというものをまるで考えていないので、工業製品にもかかわらず、個体個体で微妙に配線が違っていたりして酷いものだった。エンジンルームがぎちぎちな為にまるで冷却がなっていない。なのでゴム、センサー類が驚くべき早さで劣化した。日本向けはエアコンがついているのだが、そのせいでこれがほとんど利かなかった。普通のクルマで10万キロは持つはずのタイミング・ベルトはデルタの場合2万キロが寿命とされた。ターボ車なのでタービンまわりの熱も凄いものがあり、僕のデルタも最後はタービンがお釈迦となった。

 WRCのベースマシンというからには足回りは確かなんだろう?なんてことはまるで無い。グループAのマシンなんて市販車とはまるで別物なのだ。リアサスペンションのアームなんてペラペラで、バックで段差を乗り越えただけでへし曲がるそうだ。常磐道で「ふわわkm/h」出した時はどっかへ飛んで行かないようにハンドルをひっつかむのがやっとだった。鼻先に鋳鉄製の古くさくて重いエンジンを積んでいるので、サーキットでも回頭性が悪かった。曲がらねぇぇ。剛性も低くてぐにゅぐにゅだった。当時流行りだしたインターネットで調べてみたけど、ランチアのラの字もなかった。仕方なく自分のサイトを立ち上げて高島平にあったクイックトレーディングから入手したトラブル事例集を公開してみたら、全国から問い合わせのメールが来てびっくりした。やはりみんな困っていたのだ。これが1996年のことだった。
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 そんな欠点ばかりのデルタだったけど調子いいときのドライブは快適だった。実は結構乗り心地が良く、レカロのシートのせいもあって6時間くらい連続で運転しても疲れなかった。ロングツアラーとしてのヨーロッパ車の良さを感じるにはじゅうぶんのクルマだった。この点は国産車は未だに遅れてると思う。こういう良さって所有して長距離運転してみないと絶対にわからない。
 そんなこんなで7年も乗って10万キロを超えたデルタは1999年に手放しました。また欲しいか?と言われるとカンベンだけど、調子のいい16Vに乗ってロングツーリングなんていうのは素敵かも。。



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